スポンサーリンク

タケコの部屋(キタサンブラック編) 

キタサンブラック タケコの部屋
キタサンブラック

タケコの部屋

※この話はフィクションです。基本、事実とは全く関係ありません。(一部事実もありますけど。)

♪ルールルッ、ルルル、ルールル~♪

こんにちは、クロヤナギタケコです。
本日のお客様は、キタサンブラック殿でーす。


キタサンブラック 「♪ 北~の~、酒場通りには~♪ どーも!「北酒場」歌ってみました~、キタサンブラックだけに!」


タケコ 「・・・。あの~、その歌の演歌歌手は北島三郎さんではないですけど・・・」

キタサンブラック 「え?!


タケコ 「・・・。その歌は細川たかしさんの歌です。」

キタサンブラック 「・・・ハハハ! 冗談ですよ、冗談!(アタフタッ!)」

タケコ 「・・・。それなら良いですが。え~、それではキタサンブラック殿のご紹介をしたいと思います。生涯成績ではGⅠレースをなんと7勝、天皇賞は春秋を合わせて3勝という盾男です。それではまず3歳時からお伺いしましょう。3歳時ではクラシック三冠すべてに出走され、見事菊花賞を制されました。まずは皐月賞はいかがでしたか?」

キタサンブラック 「はい、最初はクラリティスカイ君がハナに行ったので、番手で追走しました。ペースは超スローでもなく、3コーナーあたりでみんな団子状態になりましたね。そこから、サトノクラウン君が捲ってきたんで、僕も並んでいきました。そしたら、後ろの方でドゥラメンテ君がスピードスケート靴を履いていたのか、横滑りでやってきたらしく、みんな4コーナーでのドリフトでびっくりしてしまい、僕も後ろが気になって、最後は粘れませんでした。それでリアルスティール君がしてやったりと思ったはずですが・・・つーか、ドゥラメンテ君、ドリフト後の末脚がありえません。あれはやっぱりドゥラメンテ君のコースだけ氷のリンクになってて、スピードスケート靴を履いて滑ってたと思います。」

タケコ 「そんなわけないと思います・・・。確かに、あのD1グランプリ張りのドリフトはハンパなかったですね。スピードスケートではなく、ドリフトカーに乗ってたんでは?ハハハ。ではダービーはいかがでしたか?」

キタサンブラック 「はい、道中はミュゼエイリアン君と一緒に先行していったんでですが、またドゥラメンテ君のドリフトが来るかもしれないと思い、後ろを気にしすぎて、気づいたらみんなにごぼう抜きされてました。ハハ・・。」

タケコ 「・・・。ドゥラメンテ殿はダービーでも末脚の切れ味はすごかったですね。見事クラシック二冠を達成しました。さすがのサトノクラウン殿とリアルスティール殿も届かずでしたね。では最後の菊花賞はいかがでしたか?」

キタサンブラック 「正直、ドゥラメンテ君が三冠獲ると思ってたけど、残念ながら彼は放牧中に怪我が見つかり手術になったので、何とか彼の分まで頑張りました。ドリフトも気にしなくてよかったし。ただ、体重530kgもあって、ちょっと食べすぎでしたけど。ハハ・・。リアルスティール君もさすがに迫ってきましたね。」

タケコ 「では、4歳時について伺いましょう。始動戦は大阪杯(当時GⅡ)でしたが、このレースでレジェンド武豊さんとの初コンビでしたね。いかがでしたか?」

キタサンブラック 「はい、調教も走りやすかったです。武さんも『柔軟で乗りやすい』と言ってくれました。レースでは最初からアンビシャス君と真っ向勝負でした。彼はさすがに前走中山記念でドゥラメンテ君にクビ差まで迫っていた強者でしたから、何とか粘ったんですが、最後の最後でかわされましたね。まあ、いいレースでした。」

タケコ 「そして、次戦の天皇賞(春)で見事、載冠しましたが、このレースは?」

キタサンブラック 「はい、何と言ってもカレンエロティック・・・・失礼、カレンミロティック先輩の迫力がすごかったですね。一旦前に出られてやばかったです。写真判定で4センチ差でしたので、ドキドキしましたね。」

タケコ 「この時の叩き合いは見ごたえがありました。武豊騎手も、逃げ切りでのGⅠ勝利は初めてだったのではないでしょうか?次の宝塚記念はいかがでしたでしょうか?」

キタサンブラック 「はい、ドゥラメンテ君との一騎打ちだと思い、彼の最後の末脚に注意していたのですが、マリアライト先輩が悪い馬場をうまく走ってきましたね。」

タケコ 「ドゥラメンテ殿もレース後、左前肢ハ行だったようで残念でした。それではジャパンカップはいかがでしたでしょうか?」

キタサンブラック 「はい、リアルスティール君とゴールドアクター先輩との前での真っ向勝負でしたが、他のメンバーも凄かったんで、気合入りましたね。」

タケコ 「確かに錚々たるメンバーでした。ディーマジェスティ殿、サウンズオブアース殿、シュヴァルグラン殿、ルージュバックさんなどなどいましたが、このメンバーを抑えて逃げ切り勝ち。不動のレーススタイルでしたね。では5歳時についてお伺いしましょう。始動戦はGⅠに昇格した大阪杯でしたね。見事昇格後の初代王者となりました。このレースは?」

キタサンブラック 「はい、パドックで武さんも『さらにデカなったなあ』と言ってくれました。最初はプレッシャーもありハナは獲れませんでしたが、いつも通り前目の位置で落ち着いてました。直線向いてからいつもどおり調子よく走れましたね。年度代表馬の意地でした。」

タケコ 「そして、次走は連覇のかかった天皇賞(春)でしたが、こちらも見事連覇しました。」

キタサンブラック 「ヤマカツライデン君がかっ飛ばして、遠くの方にいましたが、焦りませんでした。3コーナーあたりで彼に並んだらゼーゼー言ってましたけど・・・。おかげで、気づいたらコースレコード勝ちになっちゃった。ハハ。」

ヤマカツライデン 「ゼーッ、ゼーッ!ワシが豪学連三面拳の一人、ライデンであーる!ゼーッ、ゼーッ!」(※漫画の『男塾』にご興味のない方は完璧スルーしてください。)

タケコ 「・・・。ヤマカツライデン殿のつぶやきは聞かなかったことにして・・・。コースレコードはさすがでしたね。それから、秋に入って天皇賞(秋)でも見事同年での天皇賞春秋制覇、合わせて天皇賞3勝目となりました。」

キタサンブラック 「馬場が悪くて、ゲートのタイミングもいまいちで出遅れたんですけど、慌てず挽回しました。前走宝塚記念を制した同期のサトノクラウン君も勝ちパターンでしたけど、なんとかクビ差かわすことができました~。メンバーも強かったけど勝ててよかった。」

タケコ 「すごいたたき合いでした。勝てて良かったですね。そして、最後の引退レース有馬記念ですが、お見事でした。」

キタサンブラック 「はい、ハナを獲りつつスローペースに持っていきました。最後もいつもの逃げ切り勝ちのスタイルを通せてよかったです。1人気で緊張したけど。」

タケコ 「有終の美となりましたね。おや、もうお時間のようです。キタサンブラック殿、本日はありがとうございました。また、いらしてくださいね。では、みなさん、ごきげんよう。」

キタサンブラック 「♪まーつりだ、祭りだ、祭りだ、豊年祭り~♪」

タケコ 「(あっ。サブちゃんの歌に変わってる・・・)」

【キタサンブラック 重賞勝鞍】

  • 2015年 スプリングS(GⅡ)
  • 2015年 セントライト記念(GⅡ)
  • 2015年 菊花賞(GⅠ)
  • 2016年 天皇賞(春)(GⅠ)
  • 2016年 京都大賞典(GⅡ)
  • 2016年 ジャパンカップ(GⅠ)
  • 2017年 大阪杯(G1)
  • 2017年 天皇賞(春)(GⅠ)
  • 2017年 天皇賞(秋)(GⅠ)
  • 2017年 有馬記念(G1)

顕彰馬

今回は顕彰馬のキタサンブラック殿を特集しましたので、顕彰馬についてまとめておきましょう。

顕彰馬(けんしょうば)とは、JRA発展に特に貢献のあった馬の功績をたたえるもので、いわゆる「競馬の殿堂入り」です。

顕彰馬一覧をまとめてみました。さすがに、すごいメンバーです。

※スマホの方へ、表は右にスクロールできます。

選考年度馬名生年月日主な勝鞍競走成績備考
2020年キタサンブラック2012年3月10日菊花賞、天皇賞(春)2回、ジャパンカップ、大阪杯、天皇賞(秋)、有馬記念20戦12勝GⅠ 7勝
2018年ロードカナロア2008年3月11日スプリンターズステークス2回、高松宮記念、安田記念、香港スプリント2回日本・17戦11勝
 海外・2戦2勝
GⅠ 6勝
2016年ジェンティルドンナ2009年2月20日桜花賞、優駿牝馬、秋華賞、ジャパンカップ2回、有馬記念、ドバイシーマクラシック日本・17戦9勝
 海外・2戦1勝
GⅠ 7勝
2015年オルフェーヴル2008年5月14日皐月賞、日本ダービー、菊花賞、有馬記念2回、宝塚記念日本・17戦10勝
 海外・4戦2勝
GⅠ 6勝 、凱旋門賞2着:2回
2014年エルコンドルパサー1995年3月17日NHKマイルカップ、ジャパンカップ、サンクルー大賞日本・7戦6勝
 海外・4戦2勝
GⅠ 2勝 、凱旋門賞2着
2011年ウオッカ2004年4月4日阪神ジュベナイルフィリーズ、日本ダービー、安田記念2回、天皇賞<秋>、ヴィクトリアマイル、ジャパンカップ日本・22戦10勝
海外・4戦0勝
GⅠ 7勝
2008年ディープインパクト2002年3月25日皐月賞、日本ダービー、菊花賞、天皇賞<春>、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念日本・13戦12勝
海外・1戦0勝 
GⅠ 7勝
2004年テイエムオペラオー1996年3月13日皐月賞、天皇賞<春>2回、宝塚記念、天皇賞<秋>、ジャパンカップ、有馬記念日本・26戦14勝GⅠ 7勝
2004年タケシバオー1965年4月23日朝日杯3歳S、天皇賞<春>、スプリンターズS日本・27戦16勝
 海外・2戦0勝
怪物
1999年タイキシャトル1994年3月23日安田記念、マイルチャンピオンシップ2回、スプリンターズステークス、ジャックルマロワ賞(仏)日本・12戦10勝
 海外・1戦1勝
日本の誇るマイラー
1997年ナリタブライアン1991年5月3日朝日杯3歳S、皐月賞、ダービー、菊花賞、有馬記念21戦12勝シャドーロールの三冠馬
1995年トウカイテイオー1988年4月20日皐月賞、ダービー、ジャパンカップ、有馬記念12戦9勝不屈の帝王
1994年メジロマックイーン1987年4月3日菊花賞、天皇賞<春>2回、宝塚記念21戦12勝最強のステイヤー
1991年オグリキャップ1985年3月27日有馬記念2回、マイルチャンピオンシップ、安田記念地方・12戦10勝
中央・20戦12勝
スーパー・スター
1990年マルゼンスキー1974年5月19日朝日杯3歳S8戦8勝夢のスーパー・カー
1990年テンポイント1973年4月19日阪神3歳S、天皇賞<春>、有馬記念18戦11勝流星の貴公子
1990年スピードシンボリ1963年5月3日天皇賞<春>、有馬記念2回、宝塚記念日本・39戦17勝       海外・4戦0勝時代の先駆者
1990年メイヂヒカリ1952年3月24日朝日杯3歳S、菊花賞、天皇賞<春>、有馬記念21戦16勝黄金の脚 父:クモハタ(顕彰馬)
1990年コダマ1957年4月15日皐月賞、ダービー、宝塚記念17戦12勝夢の超特急
1987年メジロラモーヌ1983年4月9日桜花賞、オークス、エリザベス女王杯12戦9勝牝馬三冠
1987年シンボリルドルフ1981年3月13日皐月賞、ダービー、菊花賞、有馬記念2回、天皇賞<春>、ジャパンカップ日本・15戦13勝
 海外・1戦0勝
七冠馬、トウカイテイオー
(顕彰馬)の父
1986年ミスターシービー1980年4月7日皐月賞、ダービー、菊花賞、天皇賞<秋>15戦8勝奇跡の豪脚
1985年グランドマーチス1969年5月13日中山大障害4回、京都大障害3回63戦23勝(障害39戦19勝)飛越の天才
1985年セイユウ1954年3月28日七夕賞、福島記念、セントライト記念49戦26勝(サラ戦25戦5勝)アラブの怪物
1984年トウショウボーイ1973年4月15日皐月賞、有馬記念、宝塚記念15戦10勝天馬
1984年ハイセイコー1970年3月6日地方・青雲賞
中央・皐月賞、宝塚記念
地方・6戦6勝
中央・16戦7勝
国民のアイドル
1984年シンザン1961年4月2日皐月賞、ダービー、菊花賞、宝塚記念、天皇賞<秋>、有馬記念19戦15勝最強の戦士
1984年ハクチカラ1953年4月20日ダービー、天皇賞<秋>、有馬記念、米国・ワシントンB・H日本・32戦20勝 海外・17戦1勝栗毛の国際派
1984年トキノミノル1948年5月2日朝日杯3歳S、皐月賞、ダービー10戦10勝幻の馬
1984年トサミドリ1946年5月20日皐月賞、菊花賞31戦21勝希代の名馬
1984年トキツカゼ1944年3月10日皐月賞、オークス30戦11勝名牝
1984年クリフジ1940年3月12日ダービー、オークス、菊花賞11戦11勝最強の牝馬
1984年セントライト1938年4月2日皐月賞、ダービー、菊花賞12戦9勝黒鹿毛の勇者
1984年クモハタ1936年3月4日ダービー21戦9勝栗毛の貴公子、
メイヂヒカリ
(顕彰馬)の父

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました